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名古屋外国語大学で講義をしました

名古屋外国語大学で特別講義を行いました!

先日、名古屋外国語大学にお招きいただき、学生の皆さんに向けて日本文学についての特別講義を行いました。

今回のテーマは、「大学生のうちに読んでおきたい日本文学」。

夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、村上春樹など、日本文学を代表する作家たちの作品を取り上げながら、日本文学が時代とともにどのように変化してきたのかをお話ししました。

漱石から村上春樹まで

「日本文学」と一言でいっても、作品が生まれた時代によって、描かれるテーマも文章のスタイルも大きく異なります。

近代化のただなかで「個人」という問題に向き合った夏目漱石。

古典や説話の世界を近代文学へと生まれ変わらせ、人間の心理を鋭く描いた芥川龍之介。

自らの弱さや生きづらさをさらけ出すような作品を残した太宰治。

「美」や「生と死」という問題を独自の文体で追究した三島由紀夫。

そして、戦後の日本文学とはまた異なる感覚と文体によって、世界中に読者を広げていった村上春樹。

それぞれの作品を並べてみると、日本文学が時代とともに何を描こうとしてきたのか、その変化が見えてきます。

今回の授業では、一つひとつの作品を独立して紹介するのではなく、**作家から作家へ、時代から時代へとつながっていく「日本文学の流れ」**を意識してお話ししました。

作家によって、こんなにも文章は違う

授業でも特に取り上げたかったのが、**「文体」**です。

同じ日本語で書かれた小説でも、漱石と芥川では文章のリズムが違い、太宰と三島では読者への語りかけ方がまったく違います。そして村上春樹になると、それまでの日本文学とはまた異なる独特の文章世界が現れます。

文学作品というと、つい「あらすじ」や「テーマ」に目が向きがちです。

けれど、小説の面白さは「何が書かれているか」だけではありません。

「どんな言葉で書かれているか」もまた、文学を味わううえで大切な要素です。

実際の文章にも触れながら、作家による言葉の選び方や文章のリズム、表現の違いについて考えてもらいました。

日本文学は、海外でどう読まれている?

名古屋外国語大学での講義ということで、今回は海外における日本文学の人気についてもお話ししました。

日本で「文豪」として知られている作家と、海外で広く読まれている日本人作家は、必ずしも同じではありません。

また、海外で日本文学が読まれるときには当然「翻訳」という問題もあります。

日本語特有の曖昧さやリズム、作家ごとの文体を、別の言語でどのように表現するのか。

作品そのものだけでなく、日本文学が言語や文化の壁を越えたときに、どのように受け取られるのかという視点からも、日本文学を考えてみました。

普段とは少し違った角度から文学を見ることで、学生の皆さんにとっても新しい発見があったのではないかと思います。

文学を「点」ではなく「線」で見る

今回の授業を通して伝えたかったことの一つが、文学を一つひとつの作品だけで見るのではなく、時代の流れの中で捉える面白さです。

作品は、何もないところから突然生まれるわけではありません。

その時代の社会があり、価値観があり、それ以前に書かれた文学があります。

ある作家がそれまでの文学を受け継ぎ、ある作家がそこから離れようとする。その繰り返しによって、日本文学は少しずつ姿を変えてきました。

漱石から芥川へ。
芥川から太宰、三島へ。
そして戦後を経て、村上春樹へ。

こうして大きな流れの中に作品を置いてみると、これまで別々に知っていた作家たちが一本の線でつながって見えてきます。

それこそが、文学史を知る面白さだと私は思っています。

学生の皆さんと文学について考える時間

普段はYouTube「大人の国語便覧」を通して日本文学についてお話ししていますが、実際に大学の教室で学生の皆さんを前にして授業をするのは、やはり動画とは違った楽しさがあります。

これからさまざまな言語や文化を学び、世界へ目を向けていく学生の皆さんに、日本文学についてお話しできたことをとても嬉しく思います。

今回の授業をきっかけに、

「この作家の作品を読んでみようかな」

と思ってもらえる作品が一つでもあれば、これほど嬉しいことはありません。

お招きくださった名古屋外国語大学の皆さま、そして授業を聞いてくださった学生の皆さん、本当にありがとうございました!

私自身にとっても、日本文学の魅力を改めて考える、とても貴重な時間になりました。

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